高校生や中学生のクリニックや民間相談機関を探している時、保護者のカウンセリングまたは保護者の相談という表現があって、どっちなのという疑問があるかもしれません。言い方の違いと捉えることもできますし、それよりは少し意味の問題が含まれているとも言えます。今回は意味があるということを考えてみましょう。
 高校生や中学生の子どもさんの抱えている問題を解決するために、保護者のかたが相談(カウンセリング)を受ける
ということと
 問題を抱えている高校生や中学生の子どもを持つ保護者の方が、こどもへの関わり方と保護者のかたの考え方や行動と関連があると思っていて、保護者のかたの考え方や行動を変えたいので相談(カウンセリング)を受ける
ということがいささか違う(ところがある)、ということです。
 実は相談員でやカウンセラーでもここのところが実際のプロセスで曖昧になっている場合もあるのです。最も相談ベースでお話をおうかがいしているプロセスの中で、2回から3回くらいは、「どうも親御さん自身のカウンセリングだなあ」ということはあるでしょう。それがいけないと思っているわけではありません。しかしながら、相談員やカウンセラー、そしてセラピストは、この違いに本来は敏感ではある必要はあると思います。それは、相談やカウンセリングを続けさせる要因が違うからです。保護者のかたが「あーそうだったのか」というような、例えば保護者の心の傷つきへの気づきを得ることはありましょう。しかしながらそれがメインになると、子どもさんや若い人の問題が難しいので見てみないふりになったりするのです。保護者のかたの心の傷つきへの気づきは重要であっても、結果としてそのことがメインになってしまう(気づかずにメインになってしまう)と、必ず子どもさんや若い人の心の問題を見失います。ここは保護者のかたが悪いわけではなく、相談員やカウンセラーの洞察不足です。
 もし保護者のかたの心の傷づきが、子どもさんや若い人の問題を見えにくくしてしまう兆候があったら、相談員やカウンセラーは「これ以上はお母さんご自身の(お父さんご自身の)カウンセリングになっちゃうから、この話はそこらへんにしておいて、そのことと子どもさんお問題との関連を見ていきましょうきましょう」というような交通整理が必要なのです。すなわち、一見、保護者のかたの心の傷つきが語られることは大変良いことのように思われますが、実はその陰で子どもさんや若い人の問題は見てみないふりをされており、その構造自体が、子どもさんや若い人が今困っている状況のネガフィルムである場合が(よく)あるからです。「これ以上はお母ご自身さんの(お父さんご自身の)…」というやりとりがなされずに、どっぷりと保護者のかたの話になっていて、それが繰り返し続けられている場合は、いろいろな意味で一度立ち止まってみると良いかもしれません。以前の記事に書きましたが、プロは時間短縮に責任を追っています(ダストにできる、インスタントにできるという意味ではありません)。少々嫌な言い方ですが、だらっと続けている場合、だらっと続けてしまっていて必要な引き算と補助線を引いてもらっていない場合が多いものです。もちろん保護者のかたのご自身のカウンセリングなら問題はありません(なくはないですかね)。

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